朝田紙店物語
当店は岐阜県美濃市出身である初代朝田利三郎が明治38年( 1905年)東京神田松永町において『朝田洋紙店』を創業。当時は洋紙を中心に和紙も扱っていました。
二代目は朝田暢。欧州旅行中にセロファン(透明紙)の存在を知り、日本に最初に輸入し販売しました。
三代目朝田昇は店を東京神田神保町に移転。しかし 晩年大病を患い店はしばらくの間休業が続きました。
三代目が亡くなったあと娘である齋藤裕子が父の遺志を継ぎ、茨城県取手市で朝田紙店と店名を変え、和紙の専門店として、再開しました。小さな店です。
五年後、駐車場を広くとるため、現在の茨城県龍ヶ崎市野原町に移転しました。
右の写真の玉は、紙垂(しで)に使われる和紙(楮から作られる紙)のこよりを二重にしてこよった玉です。芯からこよっており、直径25センチメートルはあります。現在の店主の父方の祖父朝田 尋が晩年長い時間をかけてていねいにこよりました。蔵の中に長い間置かれていたものが平成19年4月店主の叔母を通して朝田紙店に譲られたものです。厳格な祖父でした。
こよりに使った紙は、祖父の実家である栃木県栃木市にある毛塚紙店さんから購入したものです。毛塚紙店さんは江戸時代(享保年間)から続いている紙屋さんです。店を再開するにあたり大変ご尽力いただきました。
ご挨拶
おりがみと和紙の店
朝田紙店
店主 齋藤裕子
店を開いて最初の一年は、日本の伝統工芸である和紙の需要が少ないことに驚き、この先店を続けていけるか不安になりました。
そんなことを思っていたある日、1人のご婦人が来店され 棚においてあったおり紙の作品を見て、「ここでおり紙を教えてくれませんか。」とお尋ねになりました。何とお答えして良いか分からず、仕入先の営業の方に相談しましたところ、日本折紙協会で講師の資格を取ることが出来ると教えて頂き、早速入会、講師の資格を取得。店で和紙を使ったおり紙教室を開くことができました。
後でわかったことですが、おり紙は指先を多く使い、立体(3次元)の作品を作ることが多いので脳の活性化にとても効果があること、そしてお喋りをしながら楽しく気軽に出来る習い事なので教室に入っていただくお客様も増えてきています。有難いことです。
私が店を引き継いで間もなく16年目を迎えようとしています。これまで続けてこられましたのも、ひとえにお客様、手すき和紙の職人さんたち、わからないこと困ったことがあると相談に乗ってくださった取引先の皆様のおかげです。
今春 新型コロナウイルスが蔓延し始め、おり紙教室もしばらくの間お休みました。
その間、これから先の店の有り様をじっくり考えることができました。紙を生業としているものの責任として、日本の文化である和紙やおり紙を守り、伝え、育んでいくことに力を尽くしていきたいという思いに至りました。
そして、より多くのお客様にご利用して頂けるよう、 これまで長い間おり紙の研鑽に励んできた方々に協力して頂きながら、日本の方・外国の方を対象としたグループや団体様向けのおり紙教室を開くことにしました。
詳しくは利用規約に載せてありますのでご覧ください。
最後になりますが、新型コロナウイルスに効果のあるワクチンや新薬が開発され、一日も早く元の平穏な世界に戻ることを願っています。
2020年 秋
日本折紙協会 講師
龍ヶ崎市商工会 会員
アクセス
- 住所
- 〒301-0831
茨城県龍ヶ崎市野原町171 - 連絡先
- 0297-63-4848(TEL・FAX共通)
- 営業日
- 月~金 午前10時~午後5時
- 定休日
- 土・日・祝祭日・第1金曜日
- 駐車場
- 8台 可
- 最寄り駅
-
- JR常磐線 龍ヶ崎市駅より車で15分
- 関東鉄道 竜ケ崎駅より車で5分
- 龍ヶ崎市コミュニティバス、内回り循環ルート
関東鉄道 竜ヶ崎駅より約10分、
緑町下車、徒歩にて約3分
※「出張おりがみ教室」等で臨時で店を閉めることがあります。
ご確認の上ご来店ください。
大蛇(おろち)様 石州和紙
岩見神楽で有名な島根県の石州和紙を使って制作されたものです。
お店で大切に飾っています。
日本各地の手すき和紙
その質の高さから世界中から高い評価を得ている和紙。
日本各地の和紙の名産地から選りすぐりの手すき和紙を取り扱っております。
和紙の強度と優れた保存性。日本の伝統工芸、和紙の魅力を広めてまいります。